12.道具としてのギター(1)

12.道具としてのギター(1)

 奏法が完成した時、最大の問題となるのがギターそのものでした。
 そもそも、ジャスティ奏法とは個人の主観的認識世界を離れ、ギターそのものの本質を探るところから生れたものであるのに、その奏法が確立したまさにその時、ギター自身に重大な欠陥があることに気付いてしまうとはなんたる皮肉。

 そう、日本の楽器店にあるほとんどの(主に国産の)ギターは残念ながら性能面において問題があったのです。
 それはこういうことなのです。
 ギターの性能とはいかなるものかと考えてみましょう。ジャスティテキストギターを学ぶ人には自明の理かもしれませんが、ギターは弦振動が表面板を震動させて音を出す楽器です。
その際になるべく「純粋な弦振動」を生み出すために、指先(爪先)を合理的に弦と接触・離脱させるようにします。

 ところが、この純粋な弦振動というのが分かり難い概念で、実際に体験してみないと具体的なイメージがつかめません。
また、1993年現在の私の認識ではそうした発音をしているギタリストは私とジャスティメソード専科修了者くらいなもので、残念ながらアンドレス・セゴビアでさえも、安定していつも純粋弦振動でギターを弾いているとは言えません。

 しかし、セゴビアをはじめ、その高弟であるイタリアのオスカー・ギリアやアメリカのクリストファー・パークニング、イギリスのジョン・ミルズ等はある程度ピュアトーン(純粋に近い弦振動によって生れる音=クリアトーンともいう)に近い発音方法をマスターしていたと言えましょう。

 当然、ギター製作家もその要求に応えてギターの性能を追求していたと想像することができます。
 実際、世界的なギター製作家の大半は、自信作のギターが出来上がるとこぞってセゴビアに献呈し、自分のギターの素晴らしさを認めてもらおうとしていました。

 現在の世界的名器であるホセ・ラミレスもそのようにして、楽器の設計を完成させていったのですといえましょう。
 そして「セゴビアが認めた」ことにより、ラミレスは世界中のギタリストから愛好されるようになるのです(勿論、ラミレス自身の営業努力もありましたが)。

 ところがアンドレス・セゴビアの死と共に私の考える「正統的な発音方法」をマスターしているギタリストが勢力を失い、逆に雑音を混ぜて弾くギタリストが台頭してきた結果として、ギター製作家はそのギタリスト達の要求する性能に合わせてギターを改良(?)し始めることになるのです。

 もっとも、日本においてはそもそも正しくギターを弾けるギタリストの存在は皆無でしたから、良いギターが製作されることはありえなかったともいえます。
 製作家はいわゆるユーザー(ギターを使う人=この場合は日本のギタリスト達)の欲求に応えなくてはなりません。
そうしないとそのギターは使ってもらえません。

 ところがそのユーザーたる日本のギタリストたちはいわゆる『ダブルデタッチ』を行ってギターを弾いています。
 つまり、爪先から離れた弦がもう1度爪の背にあたって、「ビチャッ」という衝撃音もさることながら、そこで1度弦の振動エネルギーを吸収してしまうわけですから、当然、音量も乏しいものになってしまいます。
 そんなふうにギターを弾くということは、ギターが本来的に持っている性能を著しく損なうものであると私は思うのですが、それは私が正しくギターを発音できるからそう考えられるのであって、そういう技術を持たないギタリストはそう考えません。

 『雑音を発生させる&弦の振動エネルギーを止めてしまう奏法』にあったギターを求める方向に意識が向かうものです。
 人間の基本性質として、何か問題があった時にその原因が自分にマイナスの要素がある場合でもなるべく自己肯定をして、マイナスの要素は外部に見出そうとするという傾向があります。
 そういう場合に自己否定をできる人は非常に優秀な人であり、ほとんどの凡庸な人は自分の立場を崩す方向に意識が向かわないものなのです。

 だから、ギターを弾いて「良い音」が出ない場合、自分の発音方法が悪いのではなくギターが「良い音の出ないギター」であると考える方が安易な方向なのです。
 しかもその場合(つまり、ユーザーが良い音の出る原因をギターに求める場合ということですが)、それは楽器業者にとって大変都合が良いことになります。

 早い話が高額の輸入ギターが売れるということになるのです。
 これは本当の話です。
 そして、あのセゴビアも使っているホセ・ラミレスを買うギター愛好家が大勢誕生することになります。
 ですが、ラミレスを買ってもやはり良い音は出ないです。

 そこで楽器業者はドイツの名器へルマン・ハウザー(現在価格は400万円前後)やイグナシオ・フレタ(現在価格は500万円前後)を売ることができるのです。
 しかも、信じられないことにほとんど初心者というべきレベルの人(キャリアは長い)が、ちゃんとそういう高額のギターを買っているのです。
 これは疑いのない事実なのです。
 一体、どうしてそんな出来事が起こるのか私には理解できません。

 話は戻りますが、そういうわけで日本のギター製作家は「反応の鈍い(=弦振動をダイレクトに表面板震動に転換しない)ギター」というものを作ってしまうのです。
 そうでないと「良いギター」という評価をユーザーから得ることはできないのです。

 だから、世間のギタリストが誉めるようなギターは私にとって最悪のギターであるということもありえてしまうのです。
 これは実に困ったことです。ではどうすれば良いのか、それが次のテーマになります。

 

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