エッセイ「心の宝物」

エッセイ「心の宝物」

初めて海が見えたとき、その雄大な光景に私は心を動かされました。
1971年8月3日。午前6時。伊豆・白浜海岸。明け方の太陽が水平線からやや上空に昇り、周辺一面を照らしていました。海は黄金色に輝き、風にそよぐ波が朝の光を乱反射させ、まるで全世界が黄金色の野原になってしまったかのようでした。
私は、めくるめく太陽の光を全身に浴びて、浜辺に一人立ち続けていました。

そのとき、私には「海」が見えたのです。私の心の奥にある鏡にその光景が映ったのです。 目に映る景色。頬を撫でる風。ほんのり香る潮の匂い。足元には揺るぎない大地。私は全身で「この瞬間における海」を感じ、その全体像が心に刻み込まれました。

そんな私の感動などにはおかまいなしに陽は昇り続けます。大自然にとっては、それを見て感じるものなどの存在はどうでもよいことで、こうした光景は常に存在し続けることでしょう。

しかし、この瞬間、私はそれを感じたのです。それは素晴らしい瞬間でした。そして、その感動は「ある形」となって私の心に残りました。この感動は、そのままでは人に伝えることはできません。「ある形」を通してしか人には伝えられないものです。その形というのが芸術なのです。それが「形式」というものであり、「絵」や「言葉」や「踊り」などです。

人の心の奥にあるものは決して他人には見ることができません。また、敢えて見るものでもないでしょうが、そこに美しいものや素晴らしい価値があるものがあるなら、これは他人と共有したいものです。それが芸術の世界です。

もちろん、そこにいくら「美」があっても、自らの力で見ようとしなければ何も見えないものです。だから、よく目を開いて(耳を澄ませて)世界を見ましょう。そこには素晴らしい出会いが待っています。
自然の「美」をダイレクトに発見することは難しいことかもしれませんが、誰かが見つけてくれて「形」にしたものならばある程度の努力でだれにでも感じることができます。

ギターを弾いている私たちの前には限りない「名曲の財産」が広がっています。
この素晴らしい世界をみんなで再発見してゆきましょう。
いつでも世界は待っているのです。
それを発見したとき、その喜びはその人のものであり、何にも代え難いその人の「心の財産」となってゆくことでしょう。
これから頑張って、心の宝物を探してゆきましょう。