5.感動あふれる演奏を

感動あふれる演奏を

演奏するという行為には2つの目的があります。

(1)演奏者自身の「自己満足」のため。
(2)聴衆を満足させる「他者奉仕」のため。

そして、一般的には(1)のタイプをアマチュア、(2)の場合をプロと呼ぶようです。

しかし、どちらが上手な演奏家という問題になりますと、一概に(2)の方が上だとは言い切れません。

演奏者が単に自己満足のために弾いたとしても、その演奏を聴いた人が「実に素晴らしい演奏だ」と感じることもありますし、逆に聴衆のために(自分の主張を曲げてまで)一所懸命に弾いたとしても、全然面白くないという評価を受ける場合もあります。

また、(1)の自己満足のためという目的で弾いたとしても、実際に弾いてみたら思い通り行かず、不満だらけの演奏になってしまったと言う場合もあり得ます。
しかも、自分自身の評価は最悪なのにもかかわらず、聴衆には拍手喝采を受けてしまうということすらあるのです。

これはどう考えるべきでしょうか。
この現象の意味することは、演奏者が(1)を目指そうと(2)を目指そうと一般聴衆にはあまり関係のないことであり、彼らは、演奏者の思惑と違うところでその演奏を味わっているということです。
言い替えるならば、人が何かの行為をした場合、第三者にとってはその人が「どういうつもり」でその行為を行ったかということはわからないものであるということです。

他人に分かるのは「意図」ではなく「結果」なのです。
社会のあり方も同じで、社会人として認められないうちは(子供、学生の場合は)結果よりも行動の「動機」が何であったか、つまり、どういう「つもり」でその行為を行ったのかということを、親や先生が訊いてくれて(結果はともかくとして)、その動機に対してある程度の評価を下してくれます。

しかし、いわゆる大人(社会に対して責任を持つ人)の場合は、結果がすべてであり、評価は結果に対して与えられるものであるというのが当然のこととなります。
そう考えると、先程の例は適当でないということになります。

(2)の場合のプロというのは「他人のために何かをしようとする人」ではなく『その人のしたことが他人のためになっている人』ということになるのです。

つまり、人のために一所懸命演奏してもそれだけではプロということにはならないということです。
それはプロ的な気持ちを持つ人というだけのことであり、結果として人に音楽の楽しみを分かち合える演奏を行って初めてプロということになるのです。

従って、(1)と(2)の区別を「行動意図」でつけるのは非常に難しいことになります。

だいたいからして、では「自己満足」のために弾くということは一体どういうことなのかと考えると、これはこれで大変難しい問題になります。
一般通念では自己満足というと現実を正しく認識しない(自分の評価と、他者の評価が著しく食い違っている)自己中心的な自己評価ということになっているようです。

カラオケで他人の迷惑を顧みず自己陶酔して「ウタ」らしきものをまくし立てている破廉恥な人に対して使われる場合が多いようです。
勿論、これも自己満足の一種ではありますが、この場合は正常な精神状態であるとは言いにくいものがあります。

こうした場合のその人の「世界認識」(世界各国の情勢がどうしたという大げさなものでなく、自分とそれを取り巻く周囲との関係の理解)は適切な判断でもたらされたものでなく、自己とそれを取り巻く世界との関係を「事実」ではなく「空想」で結び付けて、その情報を元にしてもたらされた認識であると言えます。

そういう人を「夢が多い人」などと周囲の人はやさしく言ってくれたりしますが、こうした少々ずれている人は別として、ステージでギターを弾いておいて、自己満足に浸れる人はどのくらいいるものでしょうか。
ほとんど100パーセントの確率で言い切れることですが、正常な人間であるならば自分のした行為に対して自己満足を得ることはできません。常に反省が伴います。(この文章を読んでいる人の内でそうでない人がいたら後で私に教えて頂きたいと思います。その場合は私の考えが甘かったものとしてお詫び文を載せたいと思います。)
理由は省きますが、人間の精神構造上の問題でそういうことになるのです。

つまり、人は(1)の自己満足のために、言葉を替えるならば最善を尽くして行動し、そして、その行為がある水準を超えると他人の為にもなることがあるということなのです。
演奏もある水準を超えると聴衆にも音楽の喜びが伝わって、自動的に(2)の結果になってゆくということになります。
それは、自分の「意図」とは別の次元の問題であるわけです。
そのうえで、自分自身のためにしかならない演奏を(1)の自己満足のための演奏と定義付けるわけです。

理屈が長くなりましたが、結論は皆さんに「常に自分自身で納得のゆく演奏」を目指してほしいということです。
その方向の延長上に「人にも喜びを分かち合える演奏」という世界が広がっているのです。

そして、いつかは誰もがその世界に到達してほしいのです。そういう演奏ができるようになった時に、自分自身の中にいるもう一人の自分=客観的な視点を持つ自分(他人と同じように冷静に自分を評価する存在)の心もその演奏を楽しむことになります。

その時にこそ、自分自身で納得の行く演奏ができるようになるのです。
確固たる自信を持ってギターを弾くことができるようになりますし、自分の演奏がどのようなレベルのものであるかという正しい自己評価もでき、また、他人の演奏に対する評価も可能になるのです。

そのうえで「自己満足」も段階的に得ることができるようになります。
そういうレベルでギターを弾くことができるように取り組みましょう。それは、誰の為でもなく、自分自身の為になることなのですから。

stage

 

<< ステージ4へ | ステージに臨む心構えTOPへ |