ギタリストへの道

19.左手のテクニック(1) −19−
 側屈運動そっくつうんどうという見慣れない言葉を目にされて、読者の皆さんは多少の戸惑いを感じられたのではないでしょうか。
 普通の会話ではあまり使われていない専門用語を使って、その分野の知識のないものに対して権威をふりかざし、自分の(他人に対する)優位を確立しようとする『えせ知識人』という存在が、私は大嫌いです。[しかも、たいして価値のない事柄を難しい言葉で語り、さも、意味があるかのように思わせようとしている場合は最悪ですね]
 だから、自分が何かを述べる場合にはわりと平易な、いわゆる「日常語」を使って話を展開するように心掛けているのですが、前回は怠慢な態度で(日常語にきちんと置き換えず)原稿を仕上げてしまったために分かりにくい内容になってしまいました。
 というわけで、前回の解説から話を進めましょう。
 側屈運動というのは、早い話が指を広げる運動ということです。このとき、MP関節を曲げてしまうと指が広がらなくなります。
 つまり、指を広げるためには写真1-aのようにMP(エムピー)関節を伸展しんてん屈曲くっきょくさせずに伸ばすこと)させねばなりません。写真1-bのようにMP関節を曲げてしまうとほんの少ししか指は広がりません。

 しかし、ギターを押弦するつもりで指を広げると写真1-c のようなフォームになってしまいます。
 このようにMP関節を過伸展かしんてん逆反ぎゃくぞりさせること)させて押弦すると指は広がるのですが、そのかわり素早い押弦・離弦の運動が難しくなります。 また、指の筋肉にも負担が大きくかかり、疲れやすく、無理をすると筋肉疲労が重なり指の機能障害を起こしたりすることがあります。
 押弦するということは指を屈曲・伸展(曲げる・伸ばす)させて弦を押えるということです。 この屈曲・伸展動作に加えて、ある程度の押弦圧力が必要になります。 つまり、弦をしっかり押さえ込む力が必要だということです。 この力が弱いと、弦がしっかりフレットで支えられず、弦の振動がフレットにあたって、雑音が入ってしまいます。 感覚的な言葉で述べると「音がビレて」しまいます。
 だから、押弦する時はMP関節をしっかりと固定して、そのうえで指を屈曲・伸展させなければなりません。
 こうすると、力強さは勿論のこと、俊敏な動作を行うことができます。
 これについては、指の構造をよく分析すれば答えは出てきます。
 指を広げるには写真1-c のような動作ではなく、写真2のような動作を用いるということなのです。
 表面的に指を観察すると、つい1-c のように広げると良いような気がしますが、指の骨格構造を知れば写真2のように開く方が自然であるということが分かります。
 実際、ヴァイオリンを弾く人は『全員』写真2のように指を広げています。
 分かり易いように3つの視点から撮った写真を載せておきます。 ギターを弾くためには『指を縦に広げる』ということを頭に入れておいてください。
 実際にギターを使って押弦した場合、下の写真のようになります。
写真3:良い押弦フォーム写真4:悪い押弦フォーム
 写真3は、MP関節が固定されていて、各指が独立して自由な動きができそうに見えます。 それに対し、写真4は指の形がいかにも窮屈そうに見え、動きが不自由そうです。また、力も弱そうに見えます。
 ところが、指の機能障害を起こすようなこうしたフォームを『良いフォーム』だとしているギター教本が堂々と流布しているので驚きます。 筆者はほとんどギターを弾いていない人なのですが、日本の場合、そうした実績のない人がまことしやかに実用書を書いていたりするので要注意!
 物事の意味を深く考えずに、表面に現れている事実だけを見て短絡した結論を出してしまうことはよくあることです。
 それはこういうことです。
 フォームというのは流動的なものです。いろいろな動きをしながらも、それらの動きが合理的に行えるような基本的な形が設定されるのです。こうしたフォームを動的(ダイナミック)フォームと言います。
 それに対し、静止した状態のフォームを静的(スタティック)フォームと言います。
 で、スタティックフォーム(指を動かさないフォーム)では、MP関節を過伸展させたフォームでもそれほど問題は生じません。しかも、それなりに指が広がるので「そうか、こうすると指が広がるのか。ちょっと窮屈だけれど、慣れれば楽に動くようになるに違いない」などと未経験者は考えてしまいます。なにしろ『効果』は間違いなくあるのです。
 これは薬の副作用にも似ています。
 『指を広げること』に関しては効果があるものの、もう一つの要素である『動作の機敏性』に関しては最悪なのですから。
 しかし、この薬を服用する人はとりあえず指を広げたいだけですから、その効果があるとこのフォーム自体が『良いフォーム』であると思ってしまいます。
 そこが落とし穴!
 こうした「欠陥のある理論(=考察の浅い理論=一部分の真実をもって全体を推し量るような理論)」というものは、ちょっと考えただけだと正しいもののように思えるという特長を持っています。
 前にも述べましたが、こうした問題のある理論は「すべてが間違いであるというわけではない」のです。
 私の知る限りではこうした教本の筆者は情熱を持ってギターに取り組んでいる人であることは間違いありません。
 例え間違ったことを主張して多くのギターファンのギターライフを迷わすことになったとしても、それは間違いなく善意から出た行為であるのです。
 ただ、その人の経験・考察が低レベルであったことだけが問題なのです。
 学問の世界でもこうしたことはよくあります。 一つの新しい理論が登場しても、それは単なる「仮説」に過ぎず、多くの専門家が実験したりして、その仮説が現実と一致した場合、初めて一つの法則として世界に受け入れられるのです。 その時、初めてその仮説は理論となるのです。
 それが、時代の進歩と共に風化してゆき、実は(それだけでは)真実ではなかったということになったとしても、だからといってその理論の価値が落ちたりはしません。
 スポーツの世界記録にも似たような性質があります。
 1964年の東京オリンピックで優勝した100メートルランナーのボブ・ヘイズの記録は10秒1でした。
 現在だったら平凡な記録です。だから、ボブ・へイズはたいしたことのないランナーだったとは誰も考えません。
 そうした記録には時代性というものが関係してくるのです。
 逆に、現在の教育を受けなかった人がいろいろな図形を見て「ピタゴラスの定理」を独力で発見しても、おそらく誰もその人の努力を認め賞賛をしたりしないことでしょう。
 その才能は認めますが、どちらかというと時代錯誤じだいさくごな努力に対して「無駄な努力」をしたという評価を下すのではないでしょうか。
 もっと「歴史」を学んで、そのうえで努力をして、新しい理論を考えついたなら、それは多くの人の注目を集めることでしょう。
 私が言いたいことは、ある程度想像がついたと思いますが、前述のような欠陥のある理論でもそれが時代の最先端をいっているならば価値があったのでしょうが、もはや時代錯誤もはなはだしい場合は、例え善意から出たものでも社会にとっては迷惑なものになるということです。
 『地獄への階段は善意の敷石で敷き詰められている』という格言もあります。要注意!
 左指の押弦フォームの基本はMP節を固定した「斜めのフォーム」であることはわかって頂けたと思います。
 では、何故こんな簡単なことが過去の多くのギタリストには分からなかったのでしょうか。それは、やはり、このフォームだけでは押弦できない音形があったからなのです。
 ギターはヴァイオリンと違って「和音」を出すことができます。それは大きな魅力ではありますが、反面、技術の難易度も高くなることになります。
 そこで、基本は「斜めのフォーム」を用いますが、例外として難しい押弦の音形の時は「直角のフォーム」を一時的に用いることになります。
 例えば「野ばら」や「アニーローリー」には2フレットをセーハして、4指で① 弦の5フレットの「ラ」を押える音形があります。この場合、本科の後半に達した人ならば、写真5のように4指のMP関節を固定して押弦する必要がありますが、まだ指の力がついていない人の場合は写真6のようにしても良いということです。
 このくらいの難易度ならば、少し訓練すれば理想的なフォームで押弦することができますが、実際には4指を広げるためにMP関節を伸展させて届かさなければならない音形が出てきます。その場合は、どうしても直角のフォームを用いなくてはなりません。
 その音形が終わったら、すぐに基本フォームに戻るようにするのは勿論のことです。


<< 戻る | 「ギタリストへの道」表紙へ | 次へ >>

▲PAGE TOP

[ライブラリーTOPへ]

      

© 2004 Justy Guitar Association