ギタリストへの道

16.人間工学とギターテクニック(3) −16−
 目的は「音楽」ですから、その要求を満たす技術を追求するのが考え方の本筋でしょう。
 この問題は簡単には解決できません。まず現在までに作曲されている代表的なギター名曲の構造の研究ができていないと、どういう技術が必要なのかが設定できないからです。
 それについては、私は日本ギター音楽学校の教授時代から10年がかりで、古今東西のこれまでのギター曲、およそ2000曲を分析して必要とされる技術を抽出するという作業を行いました。どこかの誰かが一般常識では考えられないような技術を必要とする曲を作曲しない限り、これ以上は考えなくても良いのではないかと思います。
 その音楽の求める技術、それは右手に関しては p i m a 指の組み合わせ、そのチェンジのスピード、そして多彩な音色の変化が可能な発音方法です。
 しかし、ここで主に考えねばならないことは左指の問題です。
 その音楽が要求している「音構成」をいかにスムーズにフレット上に置き換えられるかということが重要です。
 これは音楽性の問題というよりも、ほとんど指の「運動性=スポーツ的」問題と考えられます。
 演奏者がその音楽をどのように感じているか等というような芸術的な要素を抜きにして、いかに機能的に指が運動するかということが重要なのです。
 そのためのフォーム、アクションはどうすれば良いのか、そうしたことを決定するために解剖学、運動生理学的見地から考えを進めることは合理的テクニックを作るために実に重要なことでした。
 そうした物理的根拠を無視して、個人的経験や感覚からこうした問題にアプローチすることは私には考えにくい方法論でした。
 この問題は、例えばチェリストのパブロ・カザルス等もぶつかった問題であり、氏の伝記などを読んで、勇気を得たりもしました。
 この問題の難しいところは、単なる『理想的な運動法則』などはないからなのです。
 医学的教養から得られるのは一般原則だけであり、その「一般原則」からは創造的な事柄は導き出されないのです。
 やってはいけないことについては分かるのですが『どうすれば良いのか』ということについては、ヒントがないのです。
 先にも述べましたが、理想的な動作、筋肉構造は「競技」によって異なるものです。
 具体的目的なしの『理想』はないのです。『理想とは具体的な現実から導き出される』ものなのです。
 私にとって具体論はギターです。
 しかし、一般原則をそのままギターにあてはめるという作業はできません。まず、とにかくギターを弾いてみて、それからその運動が合理的かどうかチェックする、そういう作業が必要なのです。
 そのために実に長い期間の試行錯誤が続きました。
 また、理屈では正しいと思えるのに、現実の運動としてはうまくできない、むしろ「良くない」と思えるアクションの方がうまくギターが弾けるということもあります。
 こういう事実が出てくると、いわゆる「理屈通りには行かないものだ」という逃げ道に脱線しやすいものです。
 たとえば「椅子に正しく座る」という動作を考えても「背筋を伸ばして深く腰掛ける」という一般的な方法は、やはり普通には楽ではありません。堅苦しくて逆に疲れやすい姿勢だと感じる人の方が自然です。これは、普段の生活の中で「背筋を伸ばして深く腰掛ける」ことを実践していくうちにその方が安定するようになる筋肉・骨格構造が身に付くから、その結果として『正しい姿勢』になってゆくのです。
 その姿勢が正しいと感じられるような訓練をした人にとって、この姿勢は合理的なのです。幼少の頃にそうした訓練をしなかった人や背骨が曲がっている人にとっては、そうした一般的に『正しいとされている姿勢』は大変苦しく感じます。
 そうした日常生活における合理的な動作を追求した「行儀作法」の伝統的な流派に小笠原流という流派がありますが、この先代の家元は解剖生理学から伝統の動作を分析するという試みをしました。その結果、小笠原流の身体の動かし方は、運動生理学的にも実に合理的であることを発見したそうです。
   その目的に合わせて訓練しないと正しくならないということはどこか矛盾しているようですが、これは事実なのです。
 それに対し、正しくない動作というものはそれを長期間続けると人体に害を及ぼすことになる動作ということになります。
 しかし、先にも述べましたが、その場合でも短期間に限るならば正しくない動作の方が楽に感じたり、うまく動作を行えるということがよくあるのです。
 だから、大半の独学者は(ギターの場合)ひどいフォームで、しかも音楽にもならない弾き方に陥ったりするのでしょう。
 それでも、初めの2〜3か月の過程ではその方がレッスンが進むことがあります。ただし、少しでもまともなことをしようとすると、やはりどこかに破綻をきたすことになります。
 話は戻ります。
 そういう理由により、正しさを発見するのは実は大変な作業なのです。
 運動生理学を専門とする医師にギターを弾かせても(実際非常に多くの医師のギターファンはいるのですが)、きちんとレッスンを受けない限り、まず、合理的にギターを弾くようになることはありません。
 小笠原流にしても800年近い歴史(先人達の試行錯誤の繰り返し)の中から取捨選択されて(というより自然淘汰か?)一つ一つの動作が流派に加えられていったのです。
 ギターのテクニックも何千人もの才能あるギタリストが生涯を掛け、数多く失敗して、稀に偶然その中の数人が価値のある試みをして、その成功例が世に広まり、それを次の世代のギタリストが『常識』として学び、更に次の世代にはより多くの合理的テクニックが継承されてゆき、やがては普通の(本格的な訓練をしてない人)人でも過去の「天才」よりも上手にギターを弾くようになるというのが一つの歴史のあり方かもしれません。
 実際、黙って自然の流れに任せていればそういう風にギター界の歴史は発展してゆくでしょう。でも、それでは私に、そしてこの文章をお読みの貴方にも間に合わないのです。
 しかし、人間工学、運動生理学、システム工学等の理論、VTR等のハイテク機器等、20世紀の最先端の他の分野の成果、つまり、情報を集積することにより、急激な進歩が可能になるのです。


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