ギタリストへの道

4.環境の中の個人 −4−
 『一体どうすればギターが上達するのか』ひたすらそのことばかり考えながら私は青春時代を送りました。
 努力すれば、必ずその努力に従って結果が出るものであるという事実を信じてはいましたが、その『努力』がはたして自分の目指す目的にあったものであるかという問題がありました。
 自分の夢、具体的に言えば目標と言うことになりますが、それが明確である場合、人間は希望を持って生きる(努力する)ことが可能になります。
 しかし、夢は夢であり、それを実現するためには『具体的な方法論』が必要になります。その方法論を見つけ出して、その方法に沿って努力した時に初めて目的は達成されるものです。
 お金持ちになりたいという夢があったとしましょう。その場合、一つの指針として自分の預金通帳に何億円かの残高が残るようにすれば良いわけで、非常に明確な目標が設定されます。
 しかし、いくら目標が明確でも、それだけでは、その目的達成のためには何をすれば良いかという具体的な行動は分かりません。
 その人の給料というものが決まっている場合は話が簡単です。その収入以上の支出をしないようにするというだけです。この場合は、とにかくどこまで支出を切りつめるかということがテーマとなります。
 とにかく収入よりも少ない支出を心掛けていればお金は貯まります。が、その場合は「お金が貯まる」だけであり「お金持ち」にはなれません。収入が非常に多い場合は別ですが、普通の場合、それは考えにくいものです。
 ごく普通のサラリーマンが「億単位」のお金を貯めるためには、収入を全部貯金してもちょっと不可能です。
 そこで視点をちょっと変えてみましょう。例えば、20〜30万円のお金を貯めるにはどうしたら良いでしょうか。このくらいの金額ならば現在の日本の場合、大学生や高校生でも1〜2か月アルバイトをすれば貯めることが出来ます。勿論、普通のサラリーマンでも同じこと、ほんの少しの努力でこのくらいの貯蓄は出来ます。
 ところが、中国で(日本円にして)20〜30万円の貯金をしようと思ったら大変なことになります。何しろ平均的な給料は1万円にも満たないのですから、それこそ2〜3年間、食うや食わずの生活をしてやっと貯められるかどうかという金額になってしまいます。
 20〜30万円という金額は1990年代の日本にいるから学生にも安易に貯めることが出来るのであり、東南アジアや中東諸国ではなかなか大金になるのです。
 逆に考えると「億単位のお金」というのも普通の日本の一般庶民にとってはなかなか手の届かない金額ですが、ある人々にとっては日本の学生が20〜30万円貯めるのとそんなに変わらない努力で手に入れることが出来るのです。
 問題はその人がどういう環境の中で生きているかということになります。
 本人の努力もさることながら、その人の所属する世界というものがあり、その世界の在り方によって個人の目標達成の方法も変わってくるということなのです。
 話をギターのことに戻しましょう。
 私の青春時代の日本では「アルハンブラ宮殿の思い出」の楽譜を手に入れることすらもままならないほど、情報不足の状態でした。ビデオは勿論のこと、レコードの種類も限ら れていて、更にはギターの先生という存在も多くはありませんでした。 そういう環境の中で、私の世代の人はギターを弾いていたのです。また、もう一つ前の世代になるとナイロン弦も無く、情報も極端に不足していて、はっきり言って、右も左も分からない中でギターに取り組んでいたと言えましょう。
 この場合、本人にいくら「やる気」があったとしても「ギターの上達」という目標はほとんど達成不可能になります。
 だから、私の青春時代のギターに対するアプローチは『練習方法の発見・開発』ということだったのです。
「既存の練習方法を行えば間違いなく下手になる」ということだけは、はっきりと理解していましたから、それならば、これまでとは違った方法で練習をすれば良いということになります。 が、それだけでは「更にもう一つの間違った練習方法」を実践してしまうかもしれません。
 それまでのギタリストがすべて失敗したという事実から導かれる考えは、とにかく彼らの行ってきたことは間違いであるとして取り除いたほうが良いということだけであり、では、どんなことを行えば良いのかという問題は解決されていません。
 そこで、いわゆる「物事の発展法則」とも言える「弁証法」の勉強から私はギターに取り組み始めました。
「量質転化の法則」から考えて見ると「間違った練習方法」も膨大に経験を積めば、役に立つ技術を生み出す元になることもあり得ます。「間違った練習方法」と一口に言っても 実際には「完璧な間違い」というものはありにくいものです。
 ここでいう「間違った練習方法」という事柄の意味は、自分の最終目標にたどり着けない、上達のプロセスに不連続な断面がある練習方法ということです。
 つまり、役に立つことは勿論含まれてはいるのです。ただ「何かの要素」が足りないために、それだけでは目的達成には不十分であるということなのです。
 そして「足りない要素」さえ発見すれば、私は私の望むようにギターが弾けるようになる筈なのです。
 経済的後進国にありながらお金を貯める為には、その国の経済機構から外に出て、新しいシステムを開発しない限り(その国の既存の会社に就職せずに自ら事業を始めたりすること)その目標は達成出来ません。
 私の青春時代のギター界はそれとよく似た状況にあったのです。だから自分自身でテキストを作りそのカリキュラムに従って自分自身を教育していかねばならなかったのです。
 ただ、幸運なことに私の前にはタルレガやセゴビアという、私より先にそうした問題を克服したギタリストが存在していた為に、私は大いに勇気を持って自らの道を進むことが出来たのです。


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