ギタリストへの道

1.プロローグ −1−
 この「物語」の読者はその大半がギターを弾く人だと思います。その人達が、より能率的にギターの演奏技術を修得し、心の喜びとなる音楽芸術の領域により深く関わり合えるようになるためのヒントの一つになれば幸いである。そう考えて、未熟ながらも拙文(下手な文章)を書き進めようと思いました。
 いま「物語」と書きましたが、それにはこんな意味があります。
 これから述べてゆく内容は主に「ギターのテクニック論・音楽論」なのですが、それは既にテキストで書かれていることです。が、テキストそのものを読んでもなかなかピンとくる人はやはり少ないものです(逆に言うとそれだけで分かる人は非常に優れた人であるという事になります)。 何と言ってもテキストの場合は必要最低限の記述しかありませんし、テクニックをマスターしながら読み進まないと理解しにくいものです。
 それに対し、独立した「テクニック論」や「音楽論」という事だったら、実際に自分自身でそのテクニックをマスターしていなくても、また、演奏することができなくても「話し」にはついて行くことができます。勿論、その場合でも語り口は「論文」調ではなく、「お話し」のような調子の方が理解し易いと思います。
 ジャスティギター奏法が生れるにはどのような背景があったのか、また、その奏法にはどのような根拠があるのか、そういった事を文学的に述べて行こうと言う事です。
 また、そういう内容ですから、私自身の体験とか、世界のギター界との関わりについての余談も語られたりします。というわけで、この文章を「物語」と述べたわけです。
 さて、ではこれから語られるジャステイ奏法とはどのような奏法の事なのでしょうか。
 そこにギターがあり、弾く人がいれば、その人は自分の好きなようにギターを爪弾けば良い、そういう事も言えます。 「絵」にしたって同じ事。真っ白なキャンパスの上に自分の感じたままに絵筆を走らせれば良いのであって、遠近法とか黄金分割とかいう知識がなくても、誰でも自由に絵を描く事は出来るのです。実際、人類の歴史の始めにはそうやって物事は成されていたことでしょう。
 そうして、個人個人が自分の工夫を重ねて何事かを成しているうちに、一つの方法論が生れてきて、それが同じ事をしようとする他人にとって非常に役に立つという現象が起こ り、それが文化として次の世代に縦承されていったのです。勿論、方法にはいろいろな種類があった事でしょう。
 そうした幾種類もの方法が多くの人に試されていくうちに、段々と自然淘汰されていって、わりと合理的で多くの人に支持された方法が残っていったのです。
 そして、次の世代の人々は先代から継承された方法論を更に改良して、更に次の世代に残していったのでしょう。
 そういう歴史の発展の最先端に私たちは存在しているわけです。ギターもヒッタイト文明の昔から長く広く人々に愛されてさた楽器です。その間に「楽器の形」も「奏法」も徐々に変化してきて現在に至っているのです。 その歴史の中で、数多くの名手が生まれ、幾多の奏法が考え出されました。演奏の名手が誕 生すると、その名人の多くは楽器の性能を超えた技巧を編出すものです。そして、楽器製作者に対して過酷な要求をつきつけます。
 それに対し、製作家も負けずにより性能の高い楽器を作り出す、するとその楽器に刺激された音楽家は更に高いレベルの音楽を生みだしてゆく、という現象が起こるわけです。
 そうした何千年もの歴史を考えると、それを無視して(現在の)自分一人の(勝手な)考えでギターを弾こう等という考えを持つ事は私には出来ません。
 ギターを手にした一番初期のうちは「音が出るから面白いなあ」という単純な喜びに浸る事も出来ますが、考えてみれば「調律法」にしたって、長い歴史の発展の果てに現在の「ミラレソシミ」という調律法が確立してきたのだし、自分の自由意志でギターを弾いているとは言えないものがあるわけです。
 私たちは自分一人では何事も成す事は出来ない存在であるわけです。しかし、だからといって悲観する事はありません。私たちには豊かな遺産があるのですから、それを学ぶ事 により、過去の人間よりも多くの素晴らしい喜びを得ることが出来るわけです。
 私も、そして貴方も好むと好まざるに関わらず、人類の歴史の蓄積のうえに現在あるわけです。自分はこの歴史は嫌いだからと言っても、そもそもそうした考え自体が「歴史の継承」のうえに成り立っているのですから歴史を無視することは出来ません。
 個人は必ず社会の中で(歴史をも含んで)存在しているのです。ギターを弾くということも同じように過去からの歴史の積み重ねの上にある行為なのです。 しかし、ギターを弾く者のすべてが「過去の歴史」を学ぶことは不可能です。それ故に「正統的な道」を外れたものが社会の中に存在を許されたりもします。
 歴史的必然性を持たずに自分の狭い経験とアイデアだけで社会に立場を築いてしまう人間はどの世界でも必ずいるものですが、特に芸術の分野では「大衆教育」が遅れているためにより多く在り得てしまいます。
 第2次大戦後の文化の混乱期にはかなり多くの分野でそうしたことが起こってしまったのです。残念ながら、ギターの世界でも非常に多くのそうした例がありました。
 そして、そうした人の築いた方向でギターを弾くと何年学んでもほとんど進歩することは出来ません。のみならず、最初は純粋な気持ちでギターに憧れを抱いた筈なのに、どこかでその動機が変化したり、偏った考えに凝り固まったりもしてしまいます。これは悲劇です。 そうした害を取り除き、ギターを始めた人がすくすくと進めるような「道」はないものかと探し求めて、そして、徐々に出来上がったものがジャスティメソードであり、その背景を語ることがこの物語のテーマなのです。


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